ジブリの名作「火垂るの墓」は何を伝えたかったか!?戦争を通して後世に伝える教訓!!

こんにちは、たまこんにゃくです。

あなたはジブリの名作映画「火垂るの墓」をご存知でしょうか

原作は野坂昭如で、実体験を基にした短編小説です。
直木賞を受賞した作品であり、その儚くも切ない物語は高い評価を得ています

映画化されたのは1988年4月16日で、「となりのトトロ」と同時上映でした。
明るい作風のトトロに対して、作品を通して重くシリアスなテーマなのが火垂るの墓です。

上映順はトトロが先だったため、当時楽しい思いをした後凹んで帰るというお客さんもいたとか。
当時の状況は詳しく分かりませんが、どうせなら上映順逆の方がよかったかもしれないですね。

過去何度も再放送されているのですが、やはり季節は夏が多いです。
終戦が8月15日ですからね。

ただこの映画の監督を務めた高畑勲監督が亡くなった時の追悼は春に行われました。
これで原作者と映画の監督の両名が亡くなったことになります。

戦争当時を知る人が徐々に減っていく中で、私ももう一度この映画を改めて視聴してみました。

何度か見たことはあったのですが、子供の頃と大人になった今で物事の捉え方が変わったことに気づき記事にしてしました。

同時に2005年に放送された実写ドラマ版との比較を交えて、戦争や社会との関わりについて現代の我々に伝えたかったことについて考察していきたいと思います。

 

火垂るの墓のあらすじ

<出典:https://kinro.jointv.jp/lineup/20180413>

キャッチフレーズは糸井重里作の「4歳と14歳で、生きようと思った」です。
題名の「ホタル」というのは虫の「蛍」と空襲で放たれる焼夷弾の「火垂る」を合わせた言葉の二つの意味があります。

第二次世界大戦当時の神戸を舞台に、懸命に生きようとした兄妹の生き様を描いています。

14歳というのが兄である清太、4歳が妹の節子です。
清太は原作者の野坂昭如自身がモデルとなっています。

節子もモデルは亡くなった妹なのですが、名前は亡くなった養母と小学校1年生の時に一目ぼれした初恋の同級生の女の子の名前であったそうです。

ストーリーは終戦直後の1945年9月21日から始まります。
駅構内で静かに息を引き取った清太が持っていたドロップ缶を駅員が拾います。その中には小さい骨が入っていました。

よくわからずにそれを草むらに投げると、蛍が飛び交います。
なぜドロップ缶に骨が入っていたか、それを説明するために時代は清太と節子が生きていた時代まで戻ります。

時代は戦争が終わる2か月前の1945年6月5日。
清太と節子は神戸大空襲で家と母親を失い、父の従兄弟の嫁の未亡人である兵庫県西宮市の叔母さんの家に身を寄せます

余談ですが神戸大空襲は1945年3月17日、5月11日、6月5日の3回にわたり行われました。
この空襲は熾烈を極め、神戸市全土がほぼ壊滅状態になり、死者7000人、被災者53万人もの被害を受けました。

最初は清太も協力する姿勢を見せ、全壊した自宅からニシンにかつお節、干し芋に卵、梅干し、バターを提供します。
どれも非常に高価な食べ物です。

父親が海軍大尉(1等海尉)のエリートであることを象徴させるシーンです。
そして叔母さんからの提案で、母親の形見である着物を米一斗(約15kg)と交換することを受け入れます。

しかしいつまでたっても学校にも行かず、お勤めにも行かず、隣組に入って防火活動もしない清太に対して叔母さんの態度は日に日に冷たくなります。

両者の溝は埋まらぬまま、清太と節子は満池谷町の貯水池のほとりにある防空壕にて二人だけの暮らしをすることを決めます。

母親が銀行に預けていた貯金7000円(現在でいうと約1300万円)を持ちつつも、当時は配給制度のため食事を満足に得られず徐々に節子は衰弱していきます。

そんな中清太は空襲の際に食料を盗むという行為に働きます。
一度は見つかり殴られた後警察に突き出されるも、警官の機転により助けられました。

盗みを働いてまで守りたいと思った節子も、清太の頑張り虚しく徐々に弱っていきます。
医者に連れて行くも薬などは出されず、滋養を付けるしかないといわれました。

頼る当てもない中、貯金を下ろして節子に食べ物を買おうとする最中敗戦の報告を知りました。
ここで父親の乗る連合艦隊の巡洋艦も壊滅したことを知ります。

唯一の当てを失いつつも、節子だけは守りたいと食べ物を与えに防空壕に戻るとそこには既にドロップとおはじきの区別もつかないやつれ果てた節子の姿でした。

清太は節子の亡骸を荼毘に付し、その後防空壕に戻ることはありませんでした。
時に1945年8月22日でした。

その後の運命は、冒頭の通りです。
DVDも発売しているので、気になる方は下記のリンクからどうぞ。

 

ドラマ版「火垂るの墓―ほたるのはか―」との比較

<出典:www.ntv.co.jp/hotaru/index.html>

ジブリ作品以外に2度「火垂るの墓」は実写化されています。

1度は終戦60年スペシャルドラマとして、2005年11月1日に放送されました。
2度目は実写映画として、2008年7月5日に公開されました。

今回は2005年に放送されたドラマ版とアニメ映画の比較をしていきます。

2008年の映画版を除いた理由は、ストーリーにオリジナル展開が多く取り入れられたことと西宮の叔母さんが事実上の悪役として描かれているためです。

事実叔母役の松坂慶子が一度は出演を断っていることからもわかります。

対してドラマ版は清太側として描かれる原作やアニメと違い、叔母さんの家庭に焦点を当てているため比較として適しているからです。

叔母さんの扱いも非常にいいですからね。

ドラマ版では叔母さんにも「澤野久子」という名前がついています。役者は松嶋菜々子が演じました。

同様に久子の長女の「澤野なつ」もメインで兄妹に関わることになります。
物語は60年後のなつが骨の入ったドロップ缶を見つけた孫娘である「光村恵子」に対し、回想を語るところから始まります。

ちなみに60年前のなつも恵子も井上真央が演じています。

そして終戦直後なつと叔母さんが駅構内で清太を見かけたことを聞きつけ、探しに来たところまで物語は戻ります。

そこで叔母は骨の入ったドロップ缶を見つけ、初めて清太と節子が亡くなったことを知り罪悪感に苛まれます。

なぜ二人は亡くなったのか、そしてなつが言った「お母さんのせいだからね」の意味を紐解くために物語は兄妹が生きていた時代までさらに遡ります。

時代はアニメで冒頭に描かれた神戸大空襲より前から始まります。
まだ清太達の父親や叔母さんの夫が戦地に赴く前なので、彼らの心情が細かく描写されます

ドラマにおいての清太の家庭は、非常に優秀でお金持ちです。

父親は原作よりも階級が上の海軍大佐(現在の一等海佐)です。
わかり易くいいますと、司令官や巡洋艦の艦長を務められるほどの役職です。

清太も神戸一中というエリート進学校に通っており、将来的には海軍兵学校に入ることを目標としていると述べています。

アニメでは観艦式の回想のシーンにしか出てこなかった父親ですが、ドラマにおいてはテレビで放送されない日本の実際の戦況と戦地に赴いた後は自分に代わって母親と妹を守れと清太に伝えます。

「自分の命に代えてでも、二人を守ります」

そこには日本男児としてのたくましい姿がありました。

ちなみにここで父が伝えた日本の戦況というのは、ソロモン諸島では戦果を挙げたこと、ガダルカナル島やアッツ島は全滅、マーシャル諸島も敗色濃厚ということです。

歴史にある程度詳しい方であればご存知かと思いますが、1943~1945年の日本軍と連合軍で激しい局地戦が行われました。

そしてそのほとんどを日本軍の敗戦で終えています。
特にサイパン島と硫黄島の戦いは激戦区として今なお語り継がれています。

しかし報道では日本軍の連戦連勝とされ、敗戦などとは考えられなかったでしょう。
アニメの清太も銀行でお金を下ろす時に敗戦の報を聞きショックを受けています。

ですがドラマでは父親から軍事機密を聞かされていたため、ある程度は現状を把握できていたといえるでしょう。

また清太達の母と西宮の叔母さんは被災する前に偶然再会した際に、困った時はお互い助け合い子供たちを守ることを約束しています。

この辺が主な違いですね。

その後はアニメと同様叔母さんの家に身を寄せることになるのですが、アニメ同様毎日勤労動員にも隣組の防火活動もせずに家にいます。

この辺に関しては節子を守るという父親のいいつけを忠実にこなしているというフォローはあります。

しかし隣組にも入らないため2人分の配給がもらえず、次第に困窮していく叔母さんの家庭。
さらには夫の戦死が叔母の元に伝えられます。

印象的だったのは、夫が死んで泣き崩れる叔母に対し清太が名誉ある戦死に「悲しむべきではなく喜ぶべきだと思います」と言ったことです。

海軍の長男として生まれたからこその教えでしょうが、時世を考えても心情を読むという点で配慮に欠ける部分であったかと思います。

大黒柱を失い、自分が頑張らなければ一家は全員死んでしまう。

そのためには…

それから叔母さんの考えは変わります。
自分たちの子供を守るため清太と節子に徹底して食事の差別を行います。

戦争が激化する前はアニメよりも丁寧に叔母さんの優しい一面が強調されたため、その変化はより衝撃的になっています。

本当は優しいはずの叔母さんが、心を鬼にして差をつける決断をしたのです。

結果的にアニメ同様食事を別にするのですが、兄妹が片づけに家の水を使うことさえも咎められます。
本来自炊するということは水も自分たちで用意することは当たり前なのですが、叔母さんの非情な部分が強調されています。

居場所を失った兄妹は防空壕を新しい寝床とするために出ていきます。
それを笑って送り出す、叔母さん。

身寄りがないのを知っていて、送り出すのです。
そこに異を唱えたのが長女のなつと亡くなった夫の末弟である善衛です。

しかしキレイごとでは済まないという叔母さんの思いに、なつはもう兄妹のことを話さなくなり、善衛は家を出ていきます。

善衛が出て行った理由は、義理姉が変わっていくところをこれ以上見たくなかったからです。
戦争のために非情にならなければいけない叔母さん、しかし実際はそんな人ではなかった。

そのことに耐えられなかったから、出て行ったのです。

結果的に兄妹を守る人がいなくなり、実質見殺しにしてしまったのです。
それが冒頭でなつが言った「お母さんのせいだからね」という言葉でした。

なんとドラマ版もDVDになっていますので、こちらも紹介します。

 

放送の度に話題になる清太と叔母さんのどちらが悪いかの論争

この物語の焦点は清太と節子の側と西宮の叔母さんとの対比で描かれます。

私も小さい頃に見た時は清太に感情移入して、叔母さんはなんて意地悪なんだと思っていました。

しかし大人になってからよく見ると、周りの子供が働きに出るのにも関わらず何もしない清太が悪いのではないかと考えるようになりました。

でもそれは不毛な争い。
何が悪いって戦争が悪いのです。

ドラマのセリフを引用します

誰もが生きるために必死でした。誰もが自分を見失っていました。誰もが大切なものを忘れていました。

明日空襲で焼け死ぬかもしれない、明日食べるものがなくなって飢えるかもしれない。その恐怖と不安に勝るものなどどこにもありませんでした。

お互いが自分たちの責務を果たした結果の悲劇といえるでしょう。

では考え方を変えて、どうすれば清太と節子が生き残れたのかを考えたいと思います。

 

節子を生かすにはどうすればよかったのか

原作、アニメ共に亡くなってしまった節子。

では生き残るにはどうすればよかったか

清太は海軍の家庭に生まれたエリートでした。

また清太が叔母さんに寄贈した食材の数々と節子が死に間際に食べたいといった天ぷら、お造り、ところてん、アイスクリーム、ドロップといった当時の日本にしては高価な食べ物を言っていたことからお金持ちであったことがわかります。

そのためプライドが高かったといえます。
基本的に節子に対して以外は無愛想でした。

しかし心優しい性格とたくましさを持ち合わせています。

アニメでは節子が母親の死を清太に伝えるまで一切泣くことはありませんでした。
それどころか母親に会いたいという節子に対し鉄棒をして慰めようとしています。

現代と比べても時代が違うのですが、想像してみてください。
14歳の少年にこれだけのことができるでしょうか

惜しむらくは叔母さんに対する感謝と手伝うという姿勢が足りなかったところです。

叔母さんだって悪人ではありません。
孤児二人を養っているんです。

しかも兄妹に雑炊を与えている時、自分も雑炊を食べています。
つまりはお国のために奉仕をしていない人は雑炊という戒めを自分にも科しているんです。

本当に悪い人だったら自分だけはおむすびを食べていたでしょう。

確かに悪いところはありましたけどね。
清太があれだけ隠していたのに、節子に母親が亡くなったことを伝えてしまいますし。

そして清太の甘いところは、父親が帰ってくるまでの辛抱だと思っていたことです。
ご存知の通り既に連合艦隊は壊滅しており、父親が帰ってくることはありません。

早い時期から勤めに出たり、隣組に入れば関係も悪くならず生き残れる確率は大幅に高まります。
節子の面倒も協力する姿勢を取っているなら、しっかり叔母さんがしてくれたでしょう。

またもし働くのを先延ばしにしたいのなら、貯金の7000円から崩したお金を入れるとかでもよかったと思います。

他の親族に頼ることが出来ない以上、叔母さんの家庭と仲良くやっていくしか方法はなかったといえるでしょう。

 

作品を通して何を伝えたかったのか?

作品を通して、最終的に清太と節子は亡くなってしまいます。

「火垂るの墓」は原作者の実体験を基にした小説なんです。
当記事でも書きましたが、清太のモデルは野坂昭如本人です。

現実は生き残っているわけですね。

ではなぜ小説では死んでしまうのか。
それは「妹への懺悔の気持ち」が強かったからでしょう。

ぼくはあんなに優しい兄ではなかった。わずかな米をお粥(かゆ)にして妹にやる。スプーンでお粥をすくう時、どうしても角度が浅くなる。自分が食べる分は底からすくう。実のあるところを食べ、妹には重湯の部分を与える。これを繰り返し、だが罪の意識はない。

<出典:www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201203150225.html>

実際は原作者が14歳の時に妹は1歳4か月でした。
清太のように妹に対して優しく接することはしなかったようで、泣いていたら頭を叩いて脳震盪を起こさせたり、妹の分の食事まで食べていたそうです。

そして西宮の親戚の家でも小説とは違い優しくしてくれたようで、防空壕で二人だけの生活をしたというのはフィクションです。

「火垂るの墓」に登場する叔母さんの娘のモデルは三女の京子で、美貌の持ち主だったらしく野坂はその娘に夢中だったようです。
作品内で娘のことを叔母さんが「こいさん」と呼んでいますが、これは三女の意味です。

この三女の葬式に野坂が参列した際に、叔母さんの事を悪く描いてしまったことを詫びていたようです。

事実と異なり、妹に対して優しくしてあげられなかったことの懺悔から当作品を描き、そのための必要悪として叔母さんを設定してしまったことを悔やんでいたことが伺えます。

平時では優しかった人であっても、戦時では非情にならざるを得ないということを伝えたかったのではないでしょうか。

また作品の時代背景から反戦映画として捉えられていることに対し、高畑監督は1988年5月号に掲載インタビューでこう語っています。

清太と節子は”家庭生活”には成功するけれど、”社会生活”に失敗するんですね。いや、失敗するのじゃなくて、徹底して社会生活を拒否するわけです。

–––中略–––

しかし私たちにそれを批判できるでしょうか。

この作品は決して反戦のメッセージ性が強い作品ではなく、社会から孤立した若者の行く末について高校生から20代の若い世代に共感してもらいたいとしています。

何不自由なく物を得ることができることができる現代の私たちと、戦争が始まる前の清太は同じではないでしょうか。

それが両親を失い、子供たちだけで生活していかなければいけないという状況になった時に、果たして最善の策を取れるでしょうか。

もしかしたら私も辛いことから逃げ出して防空壕での生活をしていたかもしれない。今の私には清太の行動を否定することはできません。

単に悲しい映画として見るのではなく、現代の生活と照らし合わせることでまた違って見えてくる景色があります。

 

まとめ

戦争を経験した人が日に日に減っていき、その悲惨さを現代の我々が知る機会も少なくなりました。

その中でアニメとして親しみやすい媒体で伝えられる本作品は貴重な存在だと思っています。
神話やおとぎ話ではなく、数十年前に現実に行われたことなのです。

歴史は繰り返すと言われていますが、過去の教訓から学び回避していかなければなりません。
同時に社会と上手く集団生活をしていくことの重要性も説かれている作品であると思います。

まだ見たことのない人は、ぜひとも一度視聴してみることをお勧めします。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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