Twitterで話題のチー牛が主人公の胸糞漫画「出席番号15番サワムロゲンキ」から得られる教訓

こんにちは、たまこんにゃくです。

最近Twitterの漫画が胸糞すぎると話題になっています。
私もタイムラインでたまたま見てしまったがために憂鬱な気持ちになってしまいました。

ほんとは記事として取り上げるかも悩んだところですが、教訓とすべき点があったので取り上げることにしました。
初めに言っておきますが、本記事は既読者向けに書いている内容です。

未読者で気分が悪くなりたくないって人がいましたら、読まないことをお勧めします。
簡単に概要は書こうと思いますので、大体の流れはそれで掴めるようにしたいと思います。
では本題に移ります。

 

漫画の概要について

プンプン氏がTwitterで公開している漫画になります。
主人公は学力とスクールカーストが底辺な小学5年生の男の子になります。

誤解している人もいると思いますが、この漫画に登場する一人にスポットを当てているだけでずっと主人公ってわけではなく他の子にスポットが当たった漫画もあります。

いわば「ちびまる子ちゃん」における「永沢君」にスポットが当たった漫画と言えばよいでしょうか。
フィクションぽく書きましたがほんとに永沢君の漫画はあります。
中学時代の話ですが、中々ぶっとんでます(笑)
まぁそれはまた別の話なので置いときますが。

つまりはその中の一人にスポットが当たった鬱展開の漫画が、特にバズってしまったという感じです。
なので全部鬱かというとそうではなく、それなりによかったと思える展開のキャラクターもいます。

ちなみに「サワムロ」という名前は日本に存在しないそうです。
いそうですけどね、、おそらくいじめの対象にならないように敢えて存在しない苗字を選択してるのかもしれません。
「ドラえもん」の「ジャイ子」もそうでしたね。

 

あらすじ(ネタバレ含む)

クラスメイトや妹からも疎まれるいわゆるスクールカースト最下位の「サワムロゲンキ」

この漫画のヒロインである「アイカワユズ」は誰にでも平等に接して、ある時体調が悪くなった「サワムロゲンキ」の嘔吐物をスカートで受け止める

それを好意と曲解して告白してしまう「サワムロゲンキ」
相手を悲しませたくないと誰にも言わないならと受け入れる「アイカワユズ」

その約束を破ってクラス中に言ってしまった「サワムロゲンキ」
結果として「アイカワユズ」が本当に好きだった幼馴染がもう一人の幼馴染の女の子と付き合ってしまう

かなり内容はマイルドに書いています。
この話は中学時代になってからも続くのですが、どうあがいても「アイカワユズ」が不幸になっていくだけの話なので省略します。

これだけ聞いても気分よくはないでしょう?
私がこの話を取り上げようと思った理由は主人公のことじゃなくて、ヒロインのユズに同情したというかどうしてこうなってしまったのかを考察したかったからに他なりません。

 

「アイカワユズ」というキャラクターについて

学力は普通ですが、スクールカーストも高く男子女子どちらからも好かれる美少女。
そして人に喜んでもらうことが大好きと無償の愛を提供できる子でもあります。

こう書くと大抵の漫画でヒロインを務められるスペックを誇ります。
ただ悲しいかな例えばその一般の漫画のヒロインで幸せな結末だったとしたら、ここまでの知名度はなかったと思います。
そうなんです、このキャラクターの個性は悲劇性から来るものだからです。

そしてここまでのお人よしは現実ではいないと思いますが、それに近いことをして悲しい目にあっている人はいるのです。
だから単なるフィクションではなく、自分を守るための教訓として受け止めて欲しいと思っています。

 

物語の悲劇性はなぜ生まれたか

結論から言ってしまうとユズの何でも受け入れてしまう姿勢からです。
「サワムロゲンキ」は確かにやり方は強引だし、性格も最悪なので私は大嫌いです。

ただ本心はどうあれ告白は受け入れてもらっています。
言わないと約束したクラスメイトに言いふらすのは悪質ですが、そこでも他のクラスメイトからユズに再度質問された時に「自分から告白した」と言ってます。

ここまでされたらゲンキも実は嫌がってるなんて思わないでしょう。
この点に関して言えばユズに落ち度があります。

それに本当に好きだった幼馴染に助けを求めたところで、その時点では傍観者だった幼馴染が自分の好きだって人がほんとは嫌だったなんて思うはずもないでしょう。
それで助けにいってもし違ったら大変なことになります。

なんで言葉で伝えられなかったのか。
拒否するタイミングはいつでもあったのに、それを善意や自己犠牲の気持ちから言い出せずにどんどん事態は悪化していきました。

本人がそのことに対して愚痴も言わず自分だけが犠牲になればいいって思っているのもまた不幸です。
周りが助けようとしてもどうにもならず泥沼にハマっていってしまうのも、悲劇性に拍車をかけています。

 

物語から得られる教訓

ここから得られるのは「自分の意思表示をしっかり言葉で伝える」ということです。
本人がそれでもいいって思っているならこれ以上なにも言えませんが、みすみす不幸になっていく状態が辛いなら今すぐ変えるべきです。

どうしてここまで言うかというと、私も以前まではボランティアに明け暮れており自己犠牲の精神が素晴らしいと思って行動していたからです。
節約や投資、タイパを重視する今の生活からは考えられないほど無償でひたすらに活動してたほどです。

いやもちろん今でも奉仕の精神事態を否定するつもりはありません。
ただ私の場合それで精神をすり減らしてしまったので、今ではボランティアの活動はしていませんし今後する予定もありません。

それに沢山騙されてきました。
詐欺や勧誘に関する注意の記事が多いのもそれが理由です。

奉仕の精神って一見素晴らしいのですが、悪い人も引き寄せます。
そしてその悪い人は無償の愛を悪用します。

それにきっぱりとNOが言えるように意思表示をしっかり持ってほしいと思っています。
またボランティアもただ行うのではなく、何らかのメリットを受けられるものに対して行うことをお勧めします。

それではボランティアではないのではないかと思う方もいるでしょうが、本当に心が壊れてしまう場合もあるため自分にとってやりがいや価値のあるものを選んで行ってほしいと経験者から伝えておきます。

 

まとめ

正直者は馬鹿を見る」という言葉がありますが、残念ながらこれは事実です。
善意で行おうとしたことに対しても、悪い人は付け込んできます。
本当に悲しい話なんですけどね。

自分を守るためには意思表示をしっかりと持つのはもちろん、信頼できる人に相談することも大事です。
結局自分を守れるのは自分だけなんです。

漫画を悪い例として題材に取り上げましたが、あなたも不幸な目に合わないように気を付けてください。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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